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Humans of Nishinoshima

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西ノ島にはどんな人がいるの?島で暮らす”人”のインタビュー記事です。
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#田舎暮らし

幼い頃から海と釣りが大好き。なるつもりはなかったけれど、島で漁師になりました。

島根県内でも隠岐は屈指の漁業のまちで、令和3年の隠岐地域の漁獲量は約6.7万トン(県内75%)と、島根県の水産業の根幹を支えています。(※隠岐支庁農林水産局資料より) そして今回お話を伺ったのは、西ノ島でまき網漁を行う「株式会社一丸」の漁師、福島海さんです。 漁師という仕事の大変さや、生まれ育った西ノ島での暮らし、島への思いなどをお伺いしました。 漁師になるつもりはありませんでした 一度島外に出たんですが、ずっと西ノ島にいます。 高校卒業後、海上自衛隊に入る予定だっ

千葉から離島へ、教育の世界から小売の世界へ。心地が良い西ノ島での暮らし

島の方なら一度は目にしたことがある 海月堂(くらげどう)とかかれたこちらの車。 「あそびとくらし」をテーマにした移動販売のお店です。 ご夫婦でお店を経営されている小山さんは、千葉県からのIターン。 島に移住してもうすぐ7年。最近、3人目のお子さんも生まれ、 最近実店舗もオープンされ、大忙しなお二人です。 今日は、奥様の亜理沙さんにお話しをお聞きしました! ーーお二人が西ノ島に移住したきっかけを教えてください。 実は最初は、西ノ島に住む予定ではなかったんです(笑)。 お

離島で看護師3年目。住めば住むほど心地よくなる仕事と暮らし。

島根県の離島にある隠岐島前病院。病床数44床の総合病院です。 この病院では、離島の医療に携わりたい多くのIターン者が働いています。 今回は、そんな隠岐島前病院で働く看護師さんにお話をお伺いしました。 青年海外協力隊を目指すーー簡単に久美子さんの自己紹介をお願いします。 隠岐島前病院で病棟の看護師として働いています。 島に来て、今年で3年目です。看護師歴は7年目になります。 ーー看護師を目指したきっかけを教えてください。 最初は大学を卒業して、医療関係の営業の仕事をして

「なんとなく」で来て、しっかり気に入っちゃう島、西ノ島。

こんにちは、そしてはじめまして。中村と申します。 リレー記事企画、今回は西ノ島のターンです! ということで、本格的な記事に入る前に軽く自己紹介をさせていただきます。 私は10月から「大人の島体験」という制度を利用して西ノ島に来ました。 「大人の島体験」というのは、島根県に属する隠岐諸島のうち、西ノ島、中ノ島、知夫里島の「島前(どうぜん)」と呼ばれる3つの島で行われているインターンシップ制度。 3カ月という短い期間で、島暮らしと島の仕事を体験できる制度です。 期間が1年間の

島に恩返しを-Uターンした離島で美容院を開業-

西ノ島の浦郷(うらごう)地区に モダンな外観のお洒落な美容院、Bonheur(ボナー)があります。 Bonheurとは、フランス語で幸運・幸せを意味するそう。 なぜこの名前になったのか気になるところですが・・・ まずは江馬さんのご紹介を! お店のオーナー、江馬さんは西ノ島出身。 中学校まで西ノ島で過ごし、高校はお隣の島、島後地区にある隠岐高校に進学。学生時代は、野球漬けの日々を過ごしたそう。 高校卒業後、大阪の専門学校へ進学。 大阪、松江で15年ほど経験を積み、ここ西ノ

島唯一の裁縫屋さん-Sewing Hiromi-

浦郷地区の道路沿いに、お洒落な看板が。 島、唯一の裁縫屋さん「Sewing Hiromi(ソーイングひろみ)」があります。 みなさんは、裁縫屋さんを利用したことはありますか? 西ノ島町は、日本海に浮かぶ、人口2,600人ほどの小さな島。 その為、本土と比べて洋服を取り扱うお店が限られています。 若い世代はネットサーフィンをしたり、旅行に行った際に服を購入したりする方が多いそう。その一方で、高齢の方は、お気に入りの服をお直しして長く着たり、人から頂いたものを自分用にリメイ

離島で趣味を楽しむ。手作りのセカンドハウスでの過ごし方

緑に囲まれ、季節のお花や果物がなっている庭。 緑溢れた庭を進むと、木でできたお家が見えてきます。 玄関を開けると、手作りのオブジェや花瓶たち。 地元の方が連載された記事の切り抜きも丁寧に飾られています。 最近は洋蘭の栽培もしているのだとか。 こちらのお家の名前は「山月庵(さんげつあん)」 地域の方がご飯を食べたりお酒を飲んだり、生花や俳句教室を楽しんだり。地域の団らんの場として作られた、セカンドハウスです。 今日はそんな「山月庵」を一からつくりあげた川井さんにお話し

お店を創りあげる楽しさ-島の魅力が詰まったお土産屋さん-

112年の歴史がある酒屋さん別府港から歩いて3分のところに、白壁に瓦屋根の一際目立つ建物、安藤本店さんがあります。中に入ると、木が剥き出しの高い天井。開放感と温もりを感じます。 もともと、こちらのお店は明治43年(1910)より、清酒・醤油の醸造元として始まりました。現在は、隠岐酒造さんのお酒を中心に取り扱っているお土産屋さん。店長の礼子さんは、隠岐ならではの地酒だけでなく、地元で作られたお菓子や加工品、雑貨も積極的に置くようにしているんだとか。 今回は、そんな礼子さんに

Uターンしてもまた故郷を出てもいい。島で暮らす若者にインタビュー

地域の為に始めた音声配信アプリーー大野さんの経歴を教えて下さい。実は私たち同じ保育園出身なんですよね(笑)。 そうみたいですね(笑)。父が保育園を経営しているので、僕もそこの園を卒業し、小・中・高まで西ノ島で過ごしました。大学では東京に進学し、リベラルアーツで国際教養を学びました。卒業後、島にUターンし今年で5年目 なります。 父が経営している社会福祉法人シオンの園では、「保育園」と「就労支援施設」があります。僕は、就労支援施設のございなにて、現在勤務しています。 ーー仕

元地域おこし協力隊の二人が、なぜ島に来て窯元を継承したのか。

「後継者求む」の文字に惹かれたーーまずは、お二人が西ノ島に来られた経緯を教えて下さい。 池田:何か将来の自分に残るような、そんな仕事をしたいと思ったからです。今まで何回か転職をしてきました。東京のデザイン事務所で4年ほど働き、田舎の世界も知りたくなり北海道のペンションで働き、それがきっかけで野菜に興味を持つようになり、最後は東京のオーガニックスーパーの野菜担当として、10年間働きましたね。季節に合わせてイベントをしたり、ディスプレイを変えたり、そうしていると1年なんてあっと

旅行で訪れた島に惚れ、移住。牛飼いとしてスローライフを楽しむ

ーー西川さん、最近の島生活はいかがですか。 スローライフ、最高ですよ。朝牛に餌をやって、夕方も牛を見に行きます。間の時間は、プールに行ったり、図書館で本を借りたり、映画をダウンロードしたり、プランターで野菜を育てたり、最近は夏に向けてサップボートを購入しました。使いたかったら自由に使ってくださいね(笑)。 放牧の牛飼いになりたかった ーー4年前に西ノ島に移住されたと聞きましたが、それまでは徳島で何をされていたのですか。 56歳まで小学校や特別支援学校で教諭をしていました。大

「いつかやりたい」が叶った場所-島のお弁当屋さん-

一回で終わらない関係が楽しい ーーまずは坂さんが働かれている場所、「ドンキー」について教えて下さい。 別府港のすぐ近くにある、お弁当屋さんです。お弁当、おにぎり、パン、ケーキ、ソフトクリームを売っています。以前は食堂として営業していましたが、コロナ禍をきっかけにお弁当屋さんというスタイルに変えました。観光客は以前よりも減りましたが、その分地元の方に目を向ける時間が増え、お店でお客さんとお話しする時間がとても楽しいです。小さいお店なので、次のお客さんがくると、「またねー!」とな