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Humans of Nishinoshima

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島根県、隠岐諸島の小さな島「西ノ島」で暮らす人のインタビュー記事。 島の人ってどんな暮らしをしているの?どんな仕事をしているの? そんな島暮らしの日常をお伝えしています。
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隠岐の海で働く。夢とこだわりが詰まった船が、今日も島に人を呼ぶ。

『都会に出てみたかった。でもやっぱり、この島の海が一番だった。』 大学を辞めてまで島に戻りたいと思った理由とは? 今回お話を伺ったのは、西ノ島で渡船業を営む『松尾丸』の松尾翔平さん。 多くの時間を海で過ごす、島での生活について伺いました。 隠岐の海 仕事は、磯釣りのお客様を釣り場まで送る渡船業。 もともと父親がやっていて、一緒にやり始めた感じ。 磯釣りは、せり出した岩場でやる釣りのことで、狙える魚種も多いし、サイズも大きい。 特に隠岐はいいものが釣れるんだよね。 マダ

東京のカメラマンから離島のホテル経営者へ。家業を継ぐためにUターン。

『実家がなくなるのは嫌だから、島に戻ってきた』 大変な仕事とわかっていても、島に戻って家業を継いだ理由とは? 今回お話を伺ったのは、西ノ島のホテル『国賀荘』を経営されている升谷圭吾さん。 家業を継いで感じたことや島での暮らしについて伺いました。 島を出て東京へ 隠岐の島前高校を卒業したあと島を出て、東京の専門学校で写真の勉強をしました。 写真は高校生のころから興味があったんですよね。 報道カメラマンの『マグナム・フォト』っていう写真家集団が好きで。 例えば、戦場の写真

大工、馬飼い、ときどき釣り。

『島に戻るつもりはなかった。でも約束があったから戻ってきた。』 一度離れても、育った町で暮らす意味とは? 今回お話を伺ったのは、島の大工さんで馬を飼っておられる亀澤哲則さん。 自然のなかで馬を飼いながら暮らす、島での生活について伺いました。 大工として40年 父親が大工で、子どもの頃からその仕事しか見てなかった。 幼稚園のアルバムにも「大工になる」って書いていて。 自分も大人になったら大工になるもんだって思っていた。 中学を卒業してからは、松江市の職業訓練学校に。 3

「この島が自分に合っていると思える」離島暮らし3年目を迎える彼女と、地域のつながり

埼玉県でアパレルの仕事をしていたけれど、気付けばもう西ノ島生活3年目に突入! イベントの企画運営や島の方と移住者を繋げる活動を通して、みるみるうちに島に馴染んでいった坂本さん。 今回はそんな坂本さんと、彼女の島での暮らしに大きな影響を与えてくれている石塚さんにお話をお伺いしました。 西ノ島ならではの穏やかでふんわりな雰囲気が皆さんに伝わると嬉しいです。 ーおふたりが初めて会ったのは何がきっかけだったんですか? 坂本さん: 私最初にバスガイドに興味があって、それに同行さ

幼い頃から海と釣りが大好き。なるつもりはなかったけれど、島で漁師になりました。

島根県内でも隠岐は屈指の漁業のまちで、令和3年の隠岐地域の漁獲量は約6.7万トン(県内75%)と、島根県の水産業の根幹を支えています。(※隠岐支庁農林水産局資料より) そして今回お話を伺ったのは、西ノ島でまき網漁を行う「株式会社一丸」の漁師、福島海さんです。 漁師という仕事の大変さや、生まれ育った西ノ島での暮らし、島への思いなどをお伺いしました。 漁師になるつもりはありませんでした 一度島外に出たんですが、ずっと西ノ島にいます。 高校卒業後、海上自衛隊に入る予定だっ

Uターン移住の理由は何でもいい、西ノ島で”足りていること”を知ってUターンしました。

今回お話を伺ったのは、西ノ島町役場・企画財政課の梶谷さん。 ふるさと納税や離島振興に係わることを担当しています。 Uターン者目線ならではの島への思いなどをお話いただきました。 関東で進学・就職したのち故郷の西ノ島へ 梶谷大樹です。 いま29歳で、西ノ島町役場で働いています。 高校卒業まで西ノ島にいて、その後東京・神奈川で学生生活を送り、 卒業後に不動産会社に入りました。 計6年間を関東で過ごして、西ノ島にUターンで帰ってきました。 Uターン後すぐ役場に入ったわけではな

【島の観光を盛り上げたい!】「つながる 隠岐プロジェクト」の西ノ島担当者にインタビュー!

今回お話を伺ったのは、株式会社JTBから、西ノ島役場・観光定住課に出向中の村瀬さん。 「つながる 隠岐プロジェクト」の西ノ島担当として、西ノ島の観光を更に盛り上げようと日々業務に取り組んでいます。 西ノ島に来るまで 村瀬貴久です、東京都出身です。 株式会社JTBでは元々、海外旅行の旅行商品を作る業務をしていました。 主にアジア圏、特に香港やマカオはトータルで10年くらい担当していました。 コロナ渦になって2か月だけ「Go Toトラベル」の事務局に出向にって、 その頃に「

20代で島根の離島にUターン、地域とそこで暮らす人々に恩返しを。

今回のインタビューは「一般社団法人 島前ふるさと魅力化財団」の 地域魅力化事業部で働く近藤弘志さんです! 「一般社団法人 島前ふるさと魅力化財団」(以下「財団」と表記)については下記サイトをご覧ください。 (筆者はこちらの財団が携わっている大人の島留学という制度で西ノ島で暮らしています。) ※大人の島留学とは、隠岐島前3町村(海士町・西ノ島・知夫村)で、仕事や普段の暮らしに挑戦できる1年間の就労型お試し移住制度です。 ーー今日はよろしくお願いします!改めてではありますが自

【インタビュー】穏やかな離島で、その人それぞれに寄り添った介護を

今回のインタビューは伊藤さん。 R5年度大人の島留学生として来島し、西ノ島町社会福祉協議会(以下、社協)で働いています! 東京から西ノ島へ。環境を変えて新たなチャレンジ 伊藤です。東京の田舎から来ました(笑) 島に来る前は東京の有料老人ホームで3年ほど介護士をしていました。 美味しいものを食べるのが好きです。 人見知りなんですけど、島に来てからそれが少し改善されたかなあと思っています。 福祉に興味を持ったのは、昔から高齢の方と関わるのが好きで。 元々おばあちゃんっ子だっ

【神奈川から島根へIターン】自分で考えて行動する、離島での仕事と暮らし

今回インタビューしたのは、2022年10月-12月の「大人の島体験」を 経て、西ノ島に移住した中村さんです! 忙しくも充実した生活をしている中村さんにたっぷりお話を聞きました! ちなみに以前、西ノ島町noteで記事も書いてくれていますので ぜひ併せて読んでみてくださいね。 プロフィールーーよろしくお願いします、改めてだけど自己紹介をお願いします! 中村美穂です。神奈川県出身で、去年の10月から大人の島体験で こっちに来て、気に入ったのでそのまま就職・移住をしました。 島暮

隠岐・島前に欠かせない「隠岐観光(株)」で働くふたりにインタビュー!

今回のインタビューは、島前での生活には欠かすことのできない 「隠岐観光(株)」のお2人です。 1人目は観光船の船長である向井祐太さん。 2人目は観光船の船長で観光バスのドライバーでもある松浦創志さんです。 観光船・観光バスについては下記のサイトからご確認ください↓↓ プロフィールーー今日はよろしくお願いします!まず自己紹介をお願いします。 松浦さん(以下、松浦):松浦創志です。学校を出てから大阪に10年くらいいて、元々はレインボー(※隠岐汽船株式会社さんが管轄する、本土と

Iターンでお寺の後継者に。「他者のために時間を使える」離島での暮らしとは

今回インタビューしたのは、「常福寺」の住職である柴田照輝(しょうき)さんです! 穏やかでいつも笑顔な柴田さんにたっぷりとお話をお伺いしてきました! プロフィールーー今日はよろしくお願いします! ユニークなご経歴だと思うのですが、詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか? ・大工から営業職・接客業(ウェイター)へ 当時は「将来工務店を開きたい」と思っていました。 技術だけではなく営業力を学ぶため完全歩合制の営業職に転職し、 同時に接客業(ウェイター)をしていました。 ・営業職

30代で西ノ島へUターン。レンタカーで島の観光を支えていく

今回のインタビューは、西ノ島の玄関口・別府港からほど近くにある 「どうぜんレンタカー」の店長である亀澤さんです。 いつも明るい気さくな方なんです! プロフィールーー今日はよろしくお願いします!改めてですが自己紹介をお願いします。 亀澤林大朗です。44歳になりました! 生まれたのは大阪なんだけど、育ったのは西ノ島です。 中学生までは島にいて、高校から松江に行きました。 走るのが得意だったので、推薦で高校に入って 高校の3年間も陸上をしていました。 ーーありがとうございます!

「摩天崖の牛に感動してIターン」島の畜産のために奮闘する若者にインタビュー

今回インタビューしたのは、JAしまねで畜産関係のお仕事に従事されている河路さん。 普段あまり知る機会の少ない業務内容などについてお伺いしました。 プロフィールーー今日はよろしくお願いします。まず自己紹介をお願いします! 河路大毅と申します。愛知県出身で、島根大学を経て今年の4月に 隠岐に来ました。 ーーありがとうございます。西ノ島に来たきっかけを教えてください。 隠岐を知ったのは学部生時代です。畜産系の研究室に入っていて ちょうど僕が入ったタイミングくらいで 「隠岐で研究