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20代で島根の離島にUターン、地域とそこで暮らす人々に恩返しを。

「Humans of Nishinoshima」
島に住んでいる人って何してるの?島にはどんな仕事があるの?
このマガジンでは西ノ島で暮らす人にインタビューし、
イメージしづらい離島での暮らしについてお届けしています。

ご実家「まつのや」の前でパシャリ

今回のインタビューは「一般社団法人 島前ふるさと魅力化財団」
地域魅力化事業部で働く近藤弘志さんです!

「一般社団法人 島前ふるさと魅力化財団」(以下「財団」と表記)については下記サイトをご覧ください。
(筆者はこちらの財団が携わっている大人の島留学という制度で西ノ島で暮らしています。)
※大人の島留学とは、隠岐島前3町村(海士町・西ノ島・知夫村)で、仕事や普段の暮らしに挑戦できる1年間の就労型お試し移住制度です。


ーー今日はよろしくお願いします!改めてではありますが自己紹介をお願いします!
西ノ島出身の近藤弘志です。もうすぐ30歳です。
島前ふるさと魅力化財団で大人の島留学のコーディネーター(西ノ島担当)をしています。実家はまつのやです。

プロフィール

ーー島に帰るまでの経歴を教えてください。
大学卒業後に東京の専門学校で働いていました。
教員免許は持っていないんだけど、専門学校の先生はその資格はなくても大丈夫なので一般教養を教えたり、生徒のキャリア支援をしたりしていて。

医療事務の学校だったんだけど、病院に求人票を取りに行くところまでが業務で。
病院の採用担当に「うちの生徒どうでしょう?」みたいな話をするんだけど、自分はなぜか都心以外の担当になって、千葉や静岡、山梨とかに行ったり。

あとは毎週行われているオープンキャンパスの準備や、SNSを毎日投稿とかもしてた。
教育には興味があったけど、業務が多かったのと、やり方が自分には合わなくて1年目の冬に辞めて。

転職を考えた時に関東圏の地方で、教育関係やカフェとかの飲食店がいいなとは思っていて。
でも東京にいながらそういう仕事を探すのって難しくて。

それで周りに「地域おこし協力隊」(以下・協力隊)で行けばいいんじゃない?って言われることもあった。でも当時は協力隊にあまりいいイメージがなかったんだよね。

というのも外から来て3年で何するんだろう・何が出来るんだろうって疑問に思っていて。
3年で成果残すって難しいし、無理に何かしてもその人がいなくなったら終わっちゃうことも多いと思うし。

でも自分が関わる地方って大体協力隊受け入れてるし、実態を知らずに批判するのもどうかなって考えて、茨城県で協力隊になりました。
ミッションは空き店舗の利活用で。ちなみにその時開いた寺子屋的なものは今でも残っています。


地元の方に良くしてもらったり、自分が島前高校出身っていうので茨城県庁から仕事の依頼が来たりということもあったしね。

知り合いから声掛けてもらって副業もしたりして、2年目で東京で働いていた時と同じくらいの年収になっていて。でも気持ち的にも楽でという感じで順調に進んでいたかな。
その後縁あって財団に入ることになりました。

仕事について

ーーありがとうございます!現在の仕事内容を教えてください。
いまは海士町・知夫村・西ノ島で行われている大人の島留学のコーディネーターっていう肩書きです。

コーディネーターっていうとイメージしづらいかもしれないけど、
島留学生が島に来る前の準備とか、島に来てどこで働くのか・どこに住むのかなどの調整だったり、滞在期間中に島留学生がより活動しやすくなるように動いたりする感じです。
あまり表には出ることはないし、「何してるの?」って聞かれることも多いです。(笑)

ーーその「何をしているのか」、私も気になっています。
1日中企画書を作っている日もあるし。
企画書は例えば役場に向けて「次年度の島留学生の募集はどうしましょう」っていうのを提案するためのものとか。

あとは今は役場の観光定住課が島留学の担当をしてくれているから、その担当者と打合せをしたり、島留学生の受け入れ先の方と話をしたりすることも多いかな。

財団の西ノ島メンバーと

ーー仕事の面白いところ・大変なところを教えてください。
受け入れをした分だけ人との出会いが多いところかな。
今まで島にいなかったようなタイプの人が来てくれることもあるし。

自分自身が新しい人と出会うのも楽しいけど、島留学生が受け入れ先の事業所に来て、その事業所に元からいた人がちょっと変わっていくのも面白いなと思う。
「島留学生が来て職場がより楽しくなった」って言ってもらえることもあるんだけど、そういうのがこの仕事をしていて良かったと感じる瞬間かな。

大変なことは自分自身の決定権や裁量権がそこまで大きいわけではないから、「こうできたらいいのにな」っていうことがある時に、実現までにちょっと時間が必要になるところとか。できないこともたくさんあるし。
進めながら「これで本当にいいのか」って迷う時もあるし。

例えば「島留学生のシェアハウスを良くします」ってするのは島留学生にとってはプラスだし、それによって余裕が生まれて島での暮らしをより楽しめるけど、一方でそれは島の人から見たら贅沢なことで。

「島での暮らしを体験する」という観点からすると家を整備しすぎない方がいいかもしれないし。そういうのは悩んだりする。

その正解はやってる最中は分からなくて、終わった後にヒアリングして、そのフィードバックの蓄積がないと何ともいえない部分はあるし。

でもあっちもこっちもって考え過ぎても進まないし、どこかで振り切る必要はあるんだよね。でも振り切り過ぎて失敗するのも怖い。

慎重さとガツガツさのバランスは難しさはあるかな。
でも仕事をしていて「嫌だな」って思ったことはない

島に帰ってきたわけ

ーー島に帰ってきた理由を聞かせてください。
元々は30~32歳くらいで島に帰ろうかなとは思っていて。
西ノ島に帰る直前までは茨城県にいて、そこでの仕事も軌道に乗りそうで、あと茨城で5年くらいは頑張ろうかなって思っていたんだよね。

そんな時にコロナが流行り始めて。
みんな当時暇だったからオンラインで話すようになって。
たっちゃん(青山達哉さん/財団の地域魅力化事業部リーダー)とは週3くらいで1、2時間話してた。今思うとすごい頻度だよね。

それでオンラインで色々やってみようってなって、島前高校(西ノ島のお隣、海士町にある高校・近藤さんや青山さんの母校です)の卒業生を集めてライブ配信とかしてた。
たっちゃんが司会、俺が裏方で、ゲストを呼んでトークセッションしたり。
そういう話をする中で出てきたのが大人の島留学で。

当時は茨城にいながらも、自分が島前高校の卒業生ということもあって、大人の島留学生の相談に乗ったりもしていて。

そういう繋がりがある中で、たっちゃんから「来年度から西ノ島の島留学担当してください」と言われて、じゃあその仕事しようかなと。
それで2021年の6月から島留学の事務局に入りました。

島での暮らしについて

ーー休みの日は何をしていますか?
夏から秋にかけては土日はほとんど家にいなくて(笑)、最近は週に1度は家で何もせず休めるようになりました。
寝ているか、近所の方と庭の草刈りや手入れをしたりとか。

あとは「黒木会」っていうのを立ち上げて、旧黒木小の建物を海月堂の方達と掃除して修繕したり、ベンチを作ったりとかのDIYをしてる。
これからは旧黒木小でワークショップとかイベントもやっていきたいんだけどね。みんな忙しいから(笑)

あと月に一度は海月堂さんでシフォンケーキの販売もしています。
シフォンケーキ作っている時が一番集中できるし、無心でいられるんだよね。

ご近所のおばちゃん達

ーー西ノ島の暮らしで印象に残っている方はいますか?
別府地区のおばちゃん達。今は70~80代かなみなさん。
ちょっと前の婦人会のメンバーなんだけどパワフルで。
子どもの頃から婦人会のお手伝いとかしていて、小さい頃から交流があったんだよね。

でも小学校高学年から高校に入ったくらいまでは距離を置いていて、その年代って恥ずかしがるじゃんそういうの。
でも高校で「ヒトツナギ」っていう取り組みをする時にすごく助けてもらった。
その取り組みで、4泊5日分の朝昼晩のごはんの献立を考えて食材とか手伝ってくれる人を全部集めて調整しないといけなくて。
どうすれば良いのか本当に分からなくて悩んで母親に相談したら、母親経由でその近所のおばちゃん達が集まって喫茶店で作戦会議をしてくれて。

あれよあれよという間に色々決まっていって、俺はぽつんと話を聞いてる感じ(笑)
野菜はうち畑のを使えばいいからこれだけ買っておきなさい!とかまで決めてもらって。
俺がその時1ヶ月くらい悩んでたことが、結局その日の1、2時間で解決したんだよね。

「ヒトツナギ」の時のお写真


4年間くらい話してなかったのに、小さい頃から知っているからって理由でそこまでしてくれて。すごく頼もしいなって思って
「あんたの頼みならおばちゃん達すぐにとんでいくから!」って言ってくれたんだよね。
その時に「おばちゃん達や島のために何か恩返ししたいな」っていう気持ちが芽生えた。明確に島が好きになったのもその時かな。

西ノ島への思い

ーー西ノ島にどういう町であってほしいですか?
そのままでいてほしいという気持ちもあるけど、またもう少し元気になってほしいなとは思う。
それこそ浦郷地区ってすごい都会だったし、お祭ももっと賑やかだったし。
島留学生や移住者の人たちに、昔みたいな賑わっている島の姿を見てほしいな。

ここで暮らす人達がいきいきと楽しく過ごせたらいいなとは思う。無理して頑張るとかじゃなくて、等身大のままで楽しく生きる人が多い島であってほしいとは思う。

大学生の頃の近藤さん

ーー西ノ島に興味のある人にメッセージをお願いします。
東京とかの都会と比べたら不便っちゃ不便。でも生活しにくいとかはなくて、離島の中では生きやすい所だと思う。
その上でやってみたいことがあったり「こういう暮らし方をしたい」っていうのがあれば島の人にどんどん言ってみればいいと思う。

西ノ島の人って言えば応援してくれる人ばかりだから。
飛び込んで自分の思いの丈をぶつけてくれればいいんじゃないかなと思います。

↑↑地域おこし協力隊時代のインタビューもチェックしてみてください!