「なんとなく」で来て、しっかり気に入っちゃう島、西ノ島。
こんにちは、そしてはじめまして。中村と申します。
リレー記事企画、今回は西ノ島のターンです!
ということで、本格的な記事に入る前に軽く自己紹介をさせていただきます。
私は10月から「大人の島体験」という制度を利用して西ノ島に来ました。
「大人の島体験」というのは、島根県に属する隠岐諸島のうち、西ノ島、中ノ島、知夫里島の「島前(どうぜん)」と呼ばれる3つの島で行われているインターンシップ制度。
3カ月という短い期間で、島暮らしと島の仕事を体験できる制度です。
期間が1年間の「大人の島留学」もあります。
その島体験を経て、そのまま就職し、島民となった人間です。
島民歴5カ月目!
西ノ島町特定地域づくり事業協同組合という、なかなかに長い名前の職場で事務員として働いています。簡単にいうと、人手不足に悩む島内の事業所に人材を派遣する会社です。
noteの運営もしており、西ノ島の紹介記事や、事業協同組合についての説明、事業所の紹介、派遣職員へのインタビュー記事などを載せています。
少し宣伝が入りましたが、今回のリレー記事のテーマが"移住や島暮らし"ということなので、私が島に来た理由から、移住を決めた経緯、実際に暮らしてみてどうかなど、自分なりに書いていきたいと思います。
西ノ島に来た、というより流れ着いた感じ
来島する前
私は現在23歳です。神奈川県の相模原市で生まれ育ちました。
高校までは超真面目な優等生でしたが、大学で何かが爆発して1年で中退。
進路変更して入学したものづくりやデザインの専門学校を卒業後、就職するということにピンとこず(というか就活というものをしたくなかった)、学生時代からのアルバイトをそのまま続けて実家暮らしのフリーターとして生きていました。
漠然とやりたいことはあるものの、どうしたらいいのか分からず、未来が見えない…と日々悩んでいた記憶があります。
その頃通っていた学校とアルバイト先が都会ど真ん中の新宿で、人の多さ、情報量の多さにうんざりしていた私は『地方で自然に囲まれて暮らしたい』と思うようになりました。
卒業が近くなってきてもまともな就活をせず、田舎行けばなにかしら仕事があるでしょうという安易な考えで、とりあえず「SMOUT」という移住マッチングサービスに登録。移住先と仕事を探し始めました。
そこで出会ったのが「大人の島留学」です。地方どころか島暮らしできるし、何か仕事につながる可能性もあるし、もし何もなくても自分の中で何かが変わってまぁ何かにはなるだろうと、すごく興味を持ちました。
それに、「何これ、条件良すぎる・・・怪しい」。って思うくらい金銭面のサポートが充実してて、逆に親にはものすごく心配されました。
「でも一応面接とかあるみたいだし、ホームページ見たら町が関わってやってるみたいだからまぁ大丈夫か!」ということで応募。
こうして島に来たわけです。
西ノ島行きがなんとなく決まる
私が体験生として来島したのは去年の10月。13人の同期がいました。
どこで暮らすのか、どんな仕事をするのかも何も知らないまま来島し、コロナ対策のための健康観察期間として3日間海士町のEntoというホテルに宿泊。
私の西ノ島行きが決まったのはこの健康観察期間の最終日の夜です。
同期の13人のうち、10人が海士町、3人が西ノ島で暮らすことになっていました。
夜ご飯のお弁当を部屋の前に配る手伝いをしていたら、運営の方から電話がかかってきて急遽面談が始まり、明日の朝、フェリーに乗って西ノ島に行ってくださいとのこと。
来島前から西ノ島に興味がある、とは伝えていましたが、それもなんとなくです。西ノ島枠3人しかないらしいし、一応手挙げとくか、くらいの軽い気持ちでした。
そんな、なんともふわふわした感じで西ノ島に流れ着きました。
大人の島体験期
現実の島は想像と違った
こうして私の西ノ島ライフが始まったわけですが、それがもう全くもってスローライフではない!!忙しすぎる!
島体験生は週4日、それぞれが希望した事業所で勤務し、毎週金曜日は全員が集まって研修をすることになっていました。
つまり週休2日ですが、その休みが休みでないのです。
島内のイベントがあったり、知り合いになったおじちゃんおばちゃんからご飯のお誘いが来たり、釣りに行ってきたおっちゃんに貰ったどでかい魚を頑張って捌いたり。娯楽が無いわりになにかと毎日忙しくて、3カ月が一瞬で終わりました。
コミュニティが狭いので、出かけた先で知り合いに会う確率が高く、都会とは違った意味の人疲れがあります。「外に出ると誰かしら知ってる人に会っちゃうから今日は外に出たくない!」という日もありました。
そんな激動の日々でしたが、ふと見ればめちゃめちゃいい景色が目の前にあるという幸せ。島なのでもちろん海はどこにいても見えるし、山も見える。いろんな鳥の声が聞こえて、自然に囲まれた環境で暮らせるのは気持ちがいいです。
それに、人疲れするとは言っても、やはり島の人々の温かさはありがたいもの。私にとって初めての親元を離れての生活でしたが、地域の方々がすごく気にかけてくれていることを感じ、生活の不安はすぐになくなりました。
何かあっても助けてくれる人がたくさんいるという安心感は、都会にはなかなかないものだと思います。
島体験の半分を終えた頃ぐらいには、滞在を延長することを決めていました。
シェアハウスのある赤ノ江(しゃくのえ)地区
島体験生はシェアハウスに住むことになっています。そのシェアハウスがあるのが、西ノ島の中でもさらに田舎の、赤ノ江地区です。
赤ノ江地区は昔、漁師町だったそうで、ガラが悪い、お祭りの時は喧嘩騒ぎだったなど、荒々しい感じの評判をよく聞きました(笑)。
今は全くそんなことはなく、静かで穏やかな時間が流れています。
島内には意外と若い世代の人も多くいますが、赤ノ江地区にはほぼ若者はいません。ほとんどがお年寄りです。
その分他の地区よりも人々のつながりが強く、おばちゃんたちが朝からみんなで集まってお弁当を作って地区の人に配ったり、朝市によもぎもちを作って出品したり。
「初参り」という旧正月のお参りの日には、毎年赤ノ江の区長さんが代表して焼火山に登り、地区の方々の分のお札をもらってきて配っています。
そんな、みんなで支え合って暮らす、温かい集落です。
また赤ノ江では、お家のすぐ目の前の岩壁で釣りができました。
私も自分で釣り道具一式を買って、区長さんに教わりながら仕事終わりに鯵を釣ったりしていました。
静かで車も人も少ないから、海を眺めてぼーっとするにもぴったり。
港から遠くて不便ではありますが、とってもいいところです。
流れるように移住が決まった
内定通知がLINEで来た
そんなこんなで滞在の延長は早い段階から決めていましたが、どうやって残るかが問題でした。
大人の島留学生となって4月から1年間また来るか、地域おこし協力隊となるか。それで悩んでいたら、私の島体験でのインターン先であった事業協同組合からLINEで内定通知が来ました。
「採用決定です!おめでとうございます㊗️」
これで私の就職&移住が決定。あっさり過ぎる。
ちょっと前まで仕事探しで悩んでいた自分はなんだったのか。
もはや笑うしかなかったですね。
住宅に関しても、ちょうどいいタイミングで空いた部屋があって、即決定。
流れるように全てがあっさりと決まりました。
まぁ、人生そんなもんかもしれないですね。
本格的に移住してみて
無事に島体験を終えましたが、一度実家に帰って引っ越しの準備を済ませ、改めて島に戻ってきた時、さすがの私も少し不安でした。
3カ月過ごしたとはいえ、今度からは本当に1人暮らし。
シェアハウスメイトもいません。
でも、前にも書いたように、助けてくれる人がたくさんいます。
ダイニングテーブルが作りたいといえば大工のおじちゃんが手伝ってくれる。
雪の日に無茶して車で山登って脱輪しても、知り合いのおじちゃんが除雪車持ってきて引っ張り上げてくれる。(実話です)
「疲れ果ててご飯作る気力ないけど唐揚げ食べたい」。とか、わがままな要求しても、唐揚げ作って家に招待してくれる友達もいる。
あったけぇ島です。本当に。冬は寒いけど。
今はもう生活の不安は全くありません!
なんとなくで流れ着いた島ですが、当分離れるつもりはないです。
私が何かやらかして島から追い出されない限りは(笑)。
島体験が終わってからはシェアハウスを出ないといけないので、現在私は別の地区に引っ越して、単身用のワンルームに住んでいます。とっても綺麗で家賃も激安!!
しかし、すでに赤ノ江が恋しくなってきていまして。
赤ノ江の穏やかな景色が、気ままな猫ちゃんたちが、賑やかなおばちゃんたちが恋しい!!
ということで最近密かに赤ノ江の空き家を探しています。
こんだけ褒めちぎってるけどみんな赤ノ江に来ないでね!!
人多いのやだから!
終わりに
自由きままに書きましたが、最後まで読んでくださってありがとうございました!次はちぶり島のHijiriさんです!!お楽しみに〜!
執筆・写真 中村