Uターンしてもまた故郷を出てもいい。島で暮らす若者にインタビュー
地域の為に始めた音声配信アプリ
ーー大野さんの経歴を教えて下さい。実は私たち同じ保育園出身なんですよね(笑)。
そうみたいですね(笑)。父が保育園を経営しているので、僕もそこの園を卒業し、小・中・高まで西ノ島で過ごしました。大学では東京に進学し、リベラルアーツで国際教養を学びました。卒業後、島にUターンし今年で5年目
なります。
父が経営している社会福祉法人シオンの園では、「保育園」と「就労支援施設」があります。僕は、就労支援施設のございなにて、現在勤務しています。
ーー仕事の傍ら、音声配信アプリにも取り組んでいるんですよね。
はい、今年の春に、shouTpuT(シャウトプット)という音声配信アプリをリリースしました。
最初は、島のためとかイメージつかなくて、できることは無いと思ってたんですよね。でも西ノ島にUターンした3年目くらいから、未来の島に何か残したいと思うようになったんです。10年、20年、50年先にも島で希望を持って生きてる自分を見たいと思って。
ちょうどその頃、コロナが流行り出して、仕事柄、簡単に島外に出られない生活が続きました。ただでさえ都会と比べると同世代の人が島には少ない上に、会う機会も減り、寂しいと思うようになりました。そんな気持ちを埋めるように音声配信を通して人とコミュニケーション取れる場を作りました。
幼い頃から見ていた利用者さんのストーリー
ーー大野さんが西ノ島にUターンしたきっかけを教えて下さい。
自分は、小さいときから「ございな」で働く人たちと関わっていて、
その人たちの人生のストーリーを間近で見てきました。今度は、自分もそのストーリーの中の一員に加わりたいと思ったのがきっかけです。
ーーストーリーとは具体的にどのようなものですか。
例えば、ある方は、自分に障がいがあると気づいた時に、障がいのある自分をありのままに認めるのに葛藤されたり、その変化の中でご家族まで変わっていったり。
ある方は、障がいになって言葉も話すことや文字を書くこと、身体を動かすことが困難になり。本人は以前現役でバリバリ働いていたのでプライドもあって、自分を取り戻すために、リハビリの時間じゃなくても病院の外で歩く練習をしていました。努力の甲斐あって、自転車を漕げるようになって、九州から島根を自転車で旅して、そしてここ島前に帰ってきたり。
「生きる力ってすごい」を小さい時から感じていました。
タイミングが重なり島にUターン
ーーということは卒業後すぐにUターンすると決めていたのですか?
そういうわけではありません(笑)。
大学3年生の時に、そろそろ進路を考えないと、と思っていました。
けど、よくあるパターンで就職活動したくなかったんですよね。
合同説明会も、そもそも人混みが苦手で行きたくなかったし、会社の情報や説明会の内容はSNSやWebで調べれば出てくるし(笑)。
そのタイミングでFacebookであるイベントを見つけました。
映画「バックトゥーザ・フューチャー」の中に出てくるデロリアンっていう車があるんですが、それを実際に作った人がいて。面白そうと思って参加したら、ビジネスとか、スタートアップについてのイベントでした。
学生は僕しかいなくて、社会人の方みたいに経験があるわけではないので、島のことについて話したんですよね。
話終えた後、「君は、島の話なら生き生きと話すね。」と言われたんです。
偶然にも、主催されている方の娘さんが島前高校(僕の母校)に通っていて、その方にも「大野くんは島に一回帰ってもいいかもね。」と言われて。
その後タイミングよく、父から電話があって。
父からの電話は基本的に良いことがないので怖かったのですが(笑)。
「ございなで働かないか、帰ってこないか、就職も決まってないだろう。」と言われて。
全てのタイミングが偶然にも重なり、島に戻ってきたわけです。
島で働くとは
ーー島でUターンとして働いて、どんな大変さがありましたか。
僕の場合は少し特殊だと思います。社会福祉法人シオンの園は、父が理事長であり、家族経営をしています。やっぱり窮屈に思うことはありましたね。良い意味でも悪い意味でも、僕は理事長の息子として見られるんですよ。
僕はわりと、提案をしたり意見を言ったりするタイプで。
「こうしたらよくなるんじゃないか」と思い瞬発的に企画書を出してしまったこともあります。仮に通った場合も、理事長の子だからOKされたんだと思われたり、思われてなくても自分が思い込んでしまったり。組織をより良くしていきたいけど、動きすぎると周りの反応で自分がしんどくなる。
仕事に慣れてきて周りが見え出した2年目が一番しんどかったですね。
ーーやりがいを感じるときはどんな時ですか。
基本的にはチームで動いています。メインとなる清掃業務ですが、「どうやってチームでクオリティをプロまでもっていくか」を日々考えています。
一人一人だったら難しい事もチームだったらできるし、障がいがあるからって質の低い仕事をしていると僕たちは仕事がなくなっちゃうわけですよね。
「ございなって質高いよね。」そう思われるように利用者さんと一緒に作り上げています。といっても、対人の仕事なので、自分の思い込みだったり、あ、自分が間違ってたって思う時はありますね。そこを気付けたときにやりがいというか、点と点が線になったような感覚があります。
ーー島暮らしで好きなところは何ですか。
一つの島なんだけど、各地区ごとにまとまっていて、地区愛があるところ。
僕も先日、母校で廃校になってしまった黒木小を再利用するプロジェクトのお手伝いとして、ボランティアを募って清掃活動をしました。
もう一つは、散歩すること。こっちの人は基本的に車に乗りますが、僕は散歩か自転車が好きですね。特に耳浦海岸まで行く道がしーんとしててお気に入りです。大声で歌っても誰にも聞こえないですし(笑)。
島の外でもチャレンジしてみる
ーー大野さんのこれからのビジョンを教えて下さい。
島の外でもチャレンジすることです。
島は、「島出身の帰ってきたのんちゃん」という自分でいれる場所なんですよね。(地元の人からは”のんちゃん”と呼ばれています。)
自分のことを「よその人」としか知らない土地で生活してみることで、きっと、地元にいる時とは違う価値観が生まれ、考えや優先順位、コミュニケーション方法や行動も変化すると思います。
両方を経験することで、次の時代で最強になれる気がしていて(笑)。
その経験は、またいつか島に帰った時に、今も、この先ももっと増えるであろう、島のよその人(移住者)と生きる上で、お互いの理解のために、自分にとっても良い経験で。何より、新しいチャレンジをしている自分を知りたいし、「地元の自分」と「よその自分」という二つの視点から、隠岐を見てみたいと思います。
筆者のひとこと
同じ保育園で育った私たちですが、もちろんお互い覚えているはずもなく、初めてこんなに深いお話しをしました(笑)。
島では移住定住という言葉をよく耳にしますが、大野さんのように島に帰ってもまた島を出るという選択肢もあり、今や移住定住の形は人それぞれ。
「地元の子」と「よそもの」どちらの価値観も経験した後の大野さんは、きっと島でまた新しい風を吹かせてくれること間違いなしですね。