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Uターン移住の理由は何でもいい、西ノ島で”足りていること”を知ってUターンしました。

「Humans of Nishinoshima」
島に住んでいる人って何してるの?島にはどんな仕事があるの?
このマガジンでは西ノ島で暮らす人にインタビューし、
イメージしづらい離島での暮らしについてお届けしています。

今回お話を伺ったのは、西ノ島町役場・企画財政課の梶谷さん。
ふるさと納税や離島振興に係わることを担当しています。
Uターン者目線ならではの島への思いなどをお話いただきました。



関東で進学・就職したのち故郷の西ノ島へ

梶谷大樹です。
いま29歳で、西ノ島町役場で働いています。

高校卒業まで西ノ島にいて、その後東京・神奈川で学生生活を送り、
卒業後に不動産会社に入りました。
計6年間を関東で過ごして、西ノ島にUターンで帰ってきました。

Uターン後すぐ役場に入ったわけではなく、初めは漁師をしていました。
実家が岩ガキの養殖をしていることもあり、2~6月に岩ガキの仕事をして、
7~9月はサザエとアワビの素潜り漁、9~11月にはヨコワというマグロの幼魚の養殖をしていました。

梶谷さんのお父様です

時間が空いている時には商工会のアルバイトなどをさせてもらったりしていて、漁業メインのマルチワーカーの様な感じでしたね。
Uターンして2年はそういう働き方をしていました。

今のイメージからは想像できないと思うのですが、真っ黒に日焼けしていたし髪型も坊主でした。

そしてコロナ渦の影響で、岩ガキの出荷が激減したのがきっかけで役場に入ることにしました。
祖父も役場で働いていたのもあり、働き方のイメージもできたので入職しました。

役場での仕事

現在は主に離島振興ふるさと納税を担当しています。
離島振興についてはイベントなどに参加しています。

「アイランダー2023」にて

現行のふるさと納税制度はネット通販に近いところがあって、主にECサイトで受付をしています。

西ノ島町の返礼品はアワビやサザエがメインなのですが、自分が素潜り漁をしていた時のサザエなども、こうして流通していたのかと思うと感慨深いですね。

2024年版ふるさと納税のパンフレット

仕事の面白いところは、日本全国に西ノ島に思いを持ってくださっている方がいるんだと感じることができる点です。
「一度訪れて思い出に残っています」とか「今は別の所にいるけど昔住んでいました」とか。
そういった方からメールや手紙を頂くこともあるのが嬉しいですね。

そういう思いを持ち続けていただきたいなと思うので、できるだけ心を込めて丁寧な対応を心がけています。

Uターンのきっかけ

西ノ島に帰ってきた理由は明確にはなくて。
以前は帰ってきた理由がないことに少し負い目を持っていたんですけど、今は考えが変わりました。

理由がなくても帰ってきていいなと思うし。
帰りたいと思った時に帰ればいいと思いますし、理由を求めると皆しんどくならないかなと。
自分は帰りたくなったから帰ってきました。

でも東京に出た理由っていうのはあって。
「地方出身者は一度は都会に出た方がいい」っていう考えがあったからです。
これは親からの教えでもあるんですけど。

島から出るのは若いうちじゃないとなかなか機会がなくなってしまうと思うんです。
年を重ねると責任や家族だったり背負うものも多くなると思うので。
高校生の時点では東京や都会に対する憧れもありましたし。

両親から言われていたのは「都会の視点を得られればいいよ」ということで。
都会と田舎の2つの視点があれば役に立つし、都会を知らないまま働くよりいいと思うよ」とも言われました。
実際に自分もそう考えていましたしね。



一度東京で過ごしたことで、都会の人が都会の何に苦しんでいて、何を欲しているのかや、都会の何を好んでいないのかを知ることができました。

だからこそ島の良さに気付けたと思っていますし、
それは高校卒業後そのまま島にずっといたら分からなかったことだと思います。

この島の魅力って、一度外に出ないと中々分からないと思うんです。
なので島の子ども達にも一度外に出て、「帰りたい」と思えば帰ってきてほしいなとも思います。

西ノ島での思い出

実家のある赤ノ江地区の伝統行事の「ヨイサカ」が印象に残っています。

※ヨイサカ:竹や柳、縄を白い旗で塗ったものの名前でもあり、顔に白粉を塗り、その上に墨や絵の具で化粧や模様を施した子ども達が「ヨイサカ」を持って「ヨイサー、ヨイサー」と地区内を練り歩いた。(まちあるきマップ・赤ノ江より引用)

子ども主体で、地域の方と協力しながら行うもので。
今は子どもの数が減ってしまったのでなくなってしまって。
自分が中学3年生の時くらいが最後だったと思うんですけど。

何でこの行事が良かったって思うのかって言うと、子どもが地域を繋いでいたなっていうところで。

現在はなくなってしまって寂しい気持ちがありますね。
今になって、大人たちが子どもが少なくなってもヨイサカを続けようとしていた気持ちが分かります。

今の浦郷地区などのシャーラ船もそういう面があると思うんですけど。
そういった地域の行事が残っていってほしいです。

行事があり、赤ノ江地区内で色々な方と繋がっていたからこそ、島に帰りたいと思える自分の基礎が作られたとも思います。

行事が残っていれば子どもたちが地域を好きになるんじゃないかなとも思うので。

一度離れたからこそ感じる西ノ島の良さとは

西ノ島のいいところは、時間的にも空間的に余裕があることだと思います。その余裕があるからこそ周りの人たちに優しくできるのかなと。

あとは日常にある自然の美しさもいいですよね。
自分は赤尾展望所からみる夕日が大好きで。
そこに放牧されている馬にも癒されますしね。

赤尾展望所の夕日と馬

これも東京に出る前は特別だとは感じなかったんですけど、Uターンしてからは「いいな」と思うようになりました。

西ノ島には懐の広い島であってほしいです。
理由がなかったり、どんな理由の移住者であれ受け入れられるような町であってほしいですね。

移住って必ずしもポジティブな理由からとは限らないと思うので。
来た人を癒せるというか、心を回復できる島であればいいなと思います。

これからの展望

U・Iターンが増えてほしいと思います。
自分もUターンなので特にUターンが増えてほしいですね。

さっきの話と被る部分もあるけど、Uターン移住の理由はポジティブでもネガティブでも構わないと思うので。

移住者の方も気軽に参加できるイベントも
西ノ島には多くあります。


「いつでもどんな理由でも帰ってきていいし、それを西ノ島は歓迎します。」ということを伝えていきたいです。

あとは若い人たちが定着するように、集まるイベントなどを実施していけたらなと思います。
若い人が楽しめる何かがないと定住には繋がらないと思うので。

Iターン者の中には島内で中々繋がりを作れない方もいると思うので、そういった方にアプローチができたらいいなと考えています。

記事を読んでくださる方へメッセージ

何かやりたいことがあって、西ノ島に興味のある方はどんどんチャレンジしていただきたいなと思います。
移住やUターンに特別な理由がなくても、都会で息苦しさを感じていて、お金やモノよりも「自分や大切な人との時間を大切にしたい」と思う方に、特に西ノ島での暮らしは合うのではないかなと思います。

生活と仕事のバランスよく生きられるという魅力があると思います。
いまは短期でも来れる仕組みが色々あるので、気軽に来てみてほしいですね。

自分の好きな言葉に「足るを知る」というものがあって。
自分に足りているもの、「これに関しては満たされているな」っていうのには中々気付けないと思うんですけど、自分が何を持っているかに目を向けられれば、西ノ島の物質的に便利とはいえない暮らしでも楽しめるんじゃないかなと思います。

この島は色々ないですけど、あるものは確かにあると思います。



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