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大工、馬飼い、ときどき釣り。

『島に戻るつもりはなかった。でも約束があったから戻ってきた。』
一度離れても、育った町で暮らす意味とは?

「Humans of Nishinoshima」
島根県、隠岐諸島の小さな島「西ノ島」で暮らす人のインタビュー記事。
島の人ってどんな暮らしをしているの?どんな仕事をしているの?
そんな島暮らしの日常をお伝えしています。

今回お話を伺ったのは、島の大工さんで馬を飼っておられる亀澤哲則さん。
自然のなかで馬を飼いながら暮らす、島での生活について伺いました。


大工として40年

父親が大工で、子どもの頃からその仕事しか見てなかった。
幼稚園のアルバムにも「大工になる」って書いていて。
自分も大人になったら大工になるもんだって思っていた。

中学を卒業してからは、松江市の職業訓練学校に。
3年制の学校だったんだけど、腰を痛めて2年で辞めることになって。

数年、父親の会社で働いて、25歳で独立。

気づけば大工をはじめて40年くらい経っているな。

中学生の頃の約束をきっかけに

西ノ島でずっと大工をしていたわけではなくて。
23歳くらいのとき、京都の方から仕事をお願いされたのをきっかけに、6~7年は関西で暮らしてた。

そんなときに、同級生から「寿司屋をオープンするから店を建ててくれ」って電話があった。

中学を卒業するときに、その同級生と「俺は将来、寿司屋になる」「俺は大工になる」って言いあって。
「寿司屋を出すときはお前が店を建ててくれ」って言われていて、約束してた。

当時神戸に住んでいて、新しく家を買うために契約までしてたけど、地元に戻ってその店を建てるために全部キャンセル(笑)

西ノ島の『あいら鮨』っていう店なんだけど、独立して初めて自分ひとりで建てたのがその店だった。

馬を飼うという生活

8年くらい前に、父親が趣味で馬を飼い始めたのがきっかけ。
最初は1、2頭飼う予定だったらしいけど、周りから話のあった馬を全部引き受けて、いきなり10頭近くになって(笑)
もう今では25頭くらいまで増えた。

自分も6年前くらいから手伝い始めたけど、馬の可愛いさはたまらんよ。

5月頃、ちょうど今が出産の時期。

馬の出産は基本的に人が立ち会ったりはしなくて。
朝餌やりをしにいくと、生まれたての仔馬が柵のところにひょこっていたりする。
「うわ!生まれてる!」って。
それが飼ってて一番幸せを感じる瞬間かな。

仔馬は生まれて3日くらい経ったら、人に慣れさせなくてはいけない。
毎日毎日撫でて慣れさせるんだけど、警戒心が強いから最初はやっぱり逃げてしまう。
そのうち顔だけなら触らせてくれるけど、身体を触ったら逃げられるから、徐々に距離を近づけていく感じ。

慣れてきて手を舐めるようになったら、砂糖をつけて舐めさせる。
そこからがチャンス。

馬は甘いものが大好きだから、砂糖を目当てにすごい寄ってくる。
段々撫でていって、最後は足の先まで撫でるようにする。

そうやって大体10日くらいで慣れさせて、山に放牧する。
最初に人間に慣らしておかないと、野生化してしまうから。

慣らしておけば、名前呼んだら来る馬もいるし。
山の遠くにいても、笛を鳴らせば大体寄ってくる。

苦労すること

一番大変なことはやっぱり餌やり。
大体、朝5時半に家を出て、放牧している場所を色々回って餌をやる。
7時頃家に帰ってきて、8時頃から大工の仕事。
夕方4時頃にまた餌をやりに回って、1日が終わる。

基本的には山に放牧してるから山の草を食べるけど、冬は草が枯れるからやせ細ってしまう。
1袋2000円くらいの餌を3日くらいで食べるけど、餌も高騰しているし。
草を刈ってくるにも労力が必要だから。
もう本当はどんどん馬を売っていかないと、破産してしまう(笑)

西ノ島で良かった

父親が動物好きだったから、自分も小さい頃から動物が好きで。
犬はずっと飼っているし、鶏も飼ってる。
毎日2個ずつ卵を産むんだけど、それがすごくうまい(笑)

釣りも好きで、気が向いたらやる。
特に磯釣りが好きで、今年53センチのグレ(メジナ)っていう魚を釣った。
魚だったらなんでも食べるし、朝昼晩刺身でもいいくらい。

西ノ島は食べるものがうまいし、不便したことない。
この島だからこそ、こうして馬を飼えているし。
鶏を飼ったり、気が向いたときに釣りをしたりできる。

やっぱり西ノ島に戻ってきて良かったと思う。

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