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30代で西ノ島へUターン。レンタカーで島の観光を支えていく

「Humans of Nishinoshima」
島に住んでいる人って何してるの?島にはどんな仕事があるの?
このマガジンでは西ノ島で暮らす人にインタビューし、
イメージしづらい離島での暮らしについてお届けしています。

今回のインタビューは、西ノ島の玄関口・別府港からほど近くにある
「どうぜんレンタカー」の店長である亀澤さんです。
いつも明るい気さくな方なんです!


プロフィール

ーー今日はよろしくお願いします!改めてですが自己紹介をお願いします。
亀澤林大朗です。44歳になりました!
生まれたのは大阪なんだけど、育ったのは西ノ島です。
中学生までは島にいて、高校から松江に行きました。
走るのが得意だったので、推薦で高校に入って
高校の3年間も陸上をしていました。

ーーありがとうございます!高校を出てからの経歴を聞かせてください。
早く働いてお金を稼ぎたいなっていうのがあったので、
高校卒業後に親戚がいる大阪で就職しました。
でも半年くらいで名古屋に転勤になって、2年ほど働きました。
そして「営業職をやってみたい」と思って、
リフォームの営業の仕事に転職しました。
結構お調子者タイプだから、人前で話すのも苦ではないし
やってみたいなって思って。そこでも2年半くらい働いたのかな。
完全な飛び込み営業で今でいう「ブラック企業」みたいな部分もあったんだけど、真剣に仕事をやってたから、辞めてから何をしたらいいか分からなくなって。
最初に就職したのがガソリンスタンドだったのもあって、
やっぱり接客業がいいかなと思って。
飛び込み営業やってて感謝されたことはまずないけど、
接客業は「ありがとう」って言って帰ってもらえるのがいいなって。
あとは子どもの頃から「社長になりたい」っていう夢が漠然とあったから
それを思い出したのもある。
パソコンとかはあまり得意ではないから、IT企業とかは難しいかもしれないけど、飲食店とかなら出来るかなって思って。
でも接客や料理の技術は全くないからまず勉強しようと考えて、
ラーメン屋さんとレストランで働くようになった。
1年間はフリーターとしてやろうって決めて。
そして1年経ったタイミングでラーメン屋さんに就職したんだよね。

西ノ島へ戻るきっかけ

転機があったのは2011年の東日本大震災。
名古屋は震源地からは離れてはいたけど、大きな波に地面ごと乗っているような感覚があったり、漁船が押し負けるくらいの水流の映像を見ていて、
鳥肌が立つくらいの自然の怖さを感じて。
その点そういえば隠岐って地震は少ないし、とりあえず山陰に帰ろうかなって思って。
そのために色々と調べていたんだけど、島根、例えば松江で働くとなるとお給料がそれまでの半分にくらいになりそうで。
それに、40代50代になって初めて島に帰ったとして、島に馴染めるのかなっていう不安もあったし。それなら30代で一回西ノ島に帰って働いてみて、
もし合わなければ本土に戻ればいいかなって。
そういうのもあって、試しに西ノ島に帰って働いてみよう!って決めました。
それで西ノ島の観光協会に就職して10年間働いて、いまのレンタカー屋さんに至ります。

レンタカー屋さんも観光協会での仕事と繋がりがあって。
「二次交通」って言葉があるんだけど、観光地に着いて「から」の移動手段のことで。西ノ島の観光では二次交通、主にレンタカーが足りないっていう問題があったんだよね。
レンタカーが手配できないから旅行自体キャンセルします、とかもあったし。これは問題だなって考えてた。
それで二次交通対策っていうのを当時の隠岐観光協会が中心となって、
対策グループを作ったりして進めていたんだよね。
でも結局観光協会って人におすすめはできるけど、自分で事業を展開したりリスクを負うわけではないので。
例えばレンタカー会社に「車の数を増やしてほしい」ってお願いして増やしてもらって、でも実際にはお客様が増えなかったような場合とか。
それって結局はレンタカー会社さんの負担になっちゃうから。

そういう状況もあったし、40歳くらいになって「自分でお店をやってみたい」っていう気持ちもあって観光協会を辞めることにした。
ちょうどその時今の「どうぜんレンタカー」の社長が西ノ島でお店をやるっていうのを聞いて「僕を使ってくれませんか」ってお願いした。
観光協会で経理の経験もあったし、社長も知っている人ではあったので、
任せてもらえることになりました。

仕事について

ーー仕事のやりがいと大変なところについて教えてください。
人が喜んでくれるし、観光の足を提供できているという面で地域に貢献できていると思えるところかな。
大変なのはやっぱり洗車!!牛のふんとかが付いて返ってくるから、
普通の洗車の倍は時間がかかるかな。
あとは楽しいよ、気ままにやっているし。

西ノ島の思い出

ーー西ノ島の思い出や印象に残っていることを教えてください。
中学校の時に、A先生っていう教育指導的なポジションの、ちょっと迫力がある先生がいたんだよね。
ある時お祭で、何か悪いことしている訳でもないのに、A先生を見かけて友達とかとみんなバーッと逃げて。
そうしたら次の日に「お前ら何で逃げるんだ。悪いことしていないなら逃げげなくていいし、俺だって人間だからそんなことされたら悲しい」って言われたんだよね。
それがなぜか心に刺さっていて。どんなに見た目が怖くても人間なんだって。それが結構営業とか接客業していた時に影響しているかも。
例えば怒っているお客さんも、何か原因があるはずだよなって俯瞰して見れるようになったかな。

お客様へ説明中

ーー西ノ島の好きなところを教えてください。
やっぱりゆったりしてるところじゃない?
島に帰ってきて一番驚いたのは「お茶休憩の時間」があること。
観光協会で働いていたときも「休憩しなさ~い」って言われたりして。
のんびりしてるな~って思うけどそれもいいなって。
ちょっと気分転換したくなったらすぐ海も見れるしね。
都会にいた時のようなストレスは減ったかな。
あとは残業も少ないよね。家族との時間が多く取れているんじゃないかな。
地域で知っている人もたくさんいるから声をかけてもらうことも多くて嬉しいよね。

ーー西ノ島にどんな島であり続けてほしいですか?
今の島の生活環境をどうやって維持していくかが重要な課題だと思うんだけど。
観光地とかも、牛や馬がいないとあの景観は保てないわけだからね。
医療とかインフラにしても住みやすい環境を維持していかないと。

ーー最後に、西ノ島に興味のある方へ向けてメッセージをお願いします!
1度来てみてほしい。もちろん合う合わないはあると思うけど
スーパーとか病院もあるし、離島とはいえ住みやすい所ではあると思うし。
人との距離が近くて、道を歩いてると「どこ行くの~?」って聞かれることもあるしそれに戸惑うこともあるかもしれないけど、詮索してるわけではなくて挨拶代わりというか。
景色も良いし食べ物も美味しいから1回来てみてほしいな。

あとがき

普段面と向かって仕事や島についてお話することはあまりなく、
(いつもは亀澤さんの好きな株や経済の話をしていることが多いんです)
今まで聞いたことのなかったエピソードを知ることができて新鮮でした。

特に「40代50代になって初めて島に帰ったとして、島に馴染めるのか不安。だったら早めに移住してみて、合わなければまた戻ればいい」という切り口は「移住」を考える時に大事なポイントでもあるなあと感じました。

西ノ島を訪れた際には、ぜひ亀澤さんとお話にどうぜんレンタカー(お土産屋さんも併設しています)に立ち寄ってみてください!

お読みいただきありがとうございました!

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