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【令和5年島体験】自分の中で変化が生まれた、西ノ島での日々

「Humans of Nishinoshima」
島に住んでいる人って何してるの?島にはどんな仕事があるの?
このマガジンでは西ノ島で暮らす人にインタビューし、
イメージしづらい離島での暮らしについてお届けしています。

島体験の最終報告会にて
オリジナルロゴの帽子を被っています

今回インタビューしたのは「島体験生」として4月から6月末まで西ノ島で働いていたGくん!社会人経験を経て島にやってきました。
西ノ島町観光協会と学童保育、2つの事業所で働いていました。
実はもう島を離れてしまったのですが、その前にお話をたっぷりと伺いましたよ。


プロフィール

ーー今日はよろしくお願いします。改めてになるけど、まず自己紹介をお願いします!
仕事は、クリエイティブ関係をやってきました。
主に、写真や動画の撮影編集、ロゴデザインなどです。
趣味は、漫画、音楽、スポーツ、アートなどです。⻄ノ島に来てから、自然が好きだと改めて感じるようになりました。

なぜ島体験に?

ーーではまず、島体験に参加した理由を教えてください。
都会は好きなんだけど、都会での生活には、学生の頃から違和感を感じていました。地元沖縄が都市化していく様子や、東京で生活する中で、都市や都市化に疑問を抱くようになりました。
沖縄が都市化していくことに祖母が喜んでいなかったこと。テクノロジーは進化しているのに、仕事の時間は減らず、給料は少ししか上がらず、生活の満足度は上がらないことなど。
都市の進む方向性が、自分には合っていない気がしました。

そんな中で、去年日本全国を旅したんだけど、都市より自然の多い田舎の方が暮らしやすいかも知れないと思って。
今後の人生をどういう所で生きていこうか考えた時に、試しに田舎の方に住んでみたいと考えて、このプログラム(島体験)を見つけて応募しました。

ーー全国を旅したんだ!ちなみに印象的だった場所とかありますか?
場所ではないんだけど、月2万円で生活している友達がいて。ガスとか電気も通してなくて。海沿いに住んでたんだけど、落ちてるライターで火をおこしたり近所の漁師さんに魚もらったりとかしてた。
楽しそうに暮らしていたからそれが印象に残ってる。
あとは銭湯と温泉を巡ってたんだけど、都会の温泉は、ジャグジーや電気風呂とか設備は豊富にあるけれど、人と人の会話は少なくて。地方に行けば行くほど、温泉の中の設備は減るけれど、人と人のコミュニケーションが増えていって。そういうのが印象深いかな。

仕事について

ーーそんなことがあったんだ…!ありがとうございました。
それでは次の質問に。事業所はどうやって決めたか教えてください!
子どもと関わる仕事がしたくて学童に。でも学童は15時以降だけだから、それまでの時間は観光協会で働くことになって。
子どもは好きなんだけど今までそこに関わる仕事をしたことなかったからしてみたいなあと思って。

ーー仕事内容はどういったものでしたか?
活動発表があるので、資料にまとめてて...こんな感じです。
ーーおお!ありがとうございます。

以下:Gくんの資料より抜粋!
【西ノ島町観光協会】
電話・メール対応:宿泊先やレンタカーなどの予約、パンフレットの送付等
窓口対応:自転車のレンタル、御朱印の記帳、船やバスの案内等
掃除:施設周辺の掃除、アルコール消毒、掃き掃除、窓拭き、草刈り等
デザイン:西ノ島町観光協会のロゴのデザイン等
SNS:写真撮影および、SNSの更新等
その他:地図の画像修正、キャンプ場オンライン予約フォームの作成等

観光協会のお掃除中
レンタサイクルの受付も

【教育委員会(学童保育)】
子供達の見守り、寄り添い。
子供達が寂しさを覚えないように、親御さんが迎えに来てくれるまでの間、安心して楽しい時間を過ごせる様に意識して働きました。一人で過ごす子がいた場合は側に寄り添い、子供達と遊ぶ時は全体が楽しくなることを意識して働きました。

ーー仕事で面白かったことは何ですか?
観光協会の方は、今までデザイン関連の仕事をしていたから、観光協会のロゴをデザインをしてみないかと言って貰えました。世界的に探してもここにしかない特徴を持った「カルデラ」をコンセプトにデザインしています。

完成するまで色んなパターンのロゴを考えてみましたが、完成はこれです。

隠岐島前は3島で1つです。3島のうちの1つの島としてわかる様に、西ノ島だけを白い枠で囲っています。
他の島と大きな差を出さずに、西ノ島を認識できる様にデザインしました。その他に意識したこととしては、シルエットでも分かること、小さくしても大きくしても分かること、時間がたっても伝わることです。
基本はシルエットがベースなんだけど、用途や好みに合わせて使える様に、カラーバリエーションを用意しています。
色にも意味があって、隠岐の固有種や群生している動植物の色だったり、西ノ島の景色の色などを使っています。 実際に自分が撮影した写真や、他の人が撮影した写真の色を抽出しています。

意味やストーリーがあることで、付加価値が生まれて、例えばだけど、名刺交換の時とかにも話のネタにもなるかなって。

後、この仕事が出来て良かったと思えたのは、ロゴデザインを通じて、西ノ島の理解と、愛着が深まったこと。
そして、限られた期間かも知れないけれど島に残る何かを作れたことかな。

学童で面白かったことは、いろんな気づきがあったことかな。自分はやっぱり子どもが好きで、子供からもたぶん好いて貰いやすい性格なんだと発見があったこととか。
あとは考えたことないことを考える機会が多かった。
もし自分が子どもを持った時に、その子が学校に行きたくないって言ったらどうしようとか。自分の子どもが学童が好きじゃない場合、他の選択肢があるといいよなとか。子ども同士が喧嘩をした時に、大声を出さずにどうやって教えたらいいのかとか。

島での暮らし

ーー島での印象的なエピソードとかありますか?
星が綺麗だったこと。夜の外浜(海水浴場)で眺めたりしてた。街灯が少ないからどこでも綺麗だった。
自転車に乗って町を散策してた時に、たまたま挨拶した方と仲良くなって、そのまま3時間くらい話したりして。BBQにも呼んでもらったり、一緒にお風呂に入ったりして楽しかった。

ーー島に来る前と後で、自分の中に変化はありましたか?
スピードの変化かな。まず自転車で立ち漕ぎをしなくなった!
あと聴く音楽が変わった。鉄っぽい曲を聴かなくなった。

ーー鉄っぽい曲…??!
鉄っぽい曲っていうのは、都会っぽい曲って意味で。分かりやすく例えると、椎名林檎の「歌舞伎町の女王」とか。他にも「東京」って付く曲は、こっちで聴いてもあまりしっくりこないじゃない。だから何を聴いたらしっくりくるのか、自身の知っている曲や周りの人の好きな曲を尋ねたりして、新しくプレイリスト作って聴いていたよ。
でも今は、自分がここでの生活に馴染んで、そういうの関係なく好きな曲を聴けるようになったかな。
あとは夕陽を落ち着いて見られるようになった。東京にいた頃は、スマホいじっちゃったり、落ち着いて見られなくて、ここに来てからはボーっとしていることに焦りを感じずにいられる様になったね。

あと食生活も変化した。一人暮らしの時は料理しないなと思って包丁とかまな板捨てたんだけど、こっちに来てから自炊するようになった。弁当を作るようにもなったし。
ほぼ毎日シチュー作り置きしてて。シェアメイトに「西ノ島のイチロー」って呼ばれてた(笑)。

収入が減ったけど支出も減ったし、でも生活は楽しかった。残業とかあまりなくて料理を作る楽しみもあったし。

広告を見ないのは気持ちいいなって思った。東京にいる頃は広告に影響を受けてた気がする。
広告が少ないから買いたいものも少ないみたいな。振り返ると広告に影響されて行動してたんじゃないかなって思う。

これから

ーー島体験を終えた後の予定は?
アルバイトをしながらフリーランスに挑戦しようかと思っています!

筆者より

こちらの質問に丁寧に答えてくれたGくん。
彼のように自分がみたもの・聞いたこと・出会った人に真摯に向き合い、吸収し、アウトプットのできる人って実はなかなか多くはないのでは?と思います。島を離れる時にも学童保育の子どもがお見送りに来ていて、(中には涙を見せる子も)慕われていたのが伝わりました。
「聴く音楽が変わった」というエピソードは、自分にも重なる部分がありハッとさせられました。またいつかどこかで更にパワーアップした彼に会える日を楽しみにしています!

元気でね~~

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